ここ数年、学校における部活動の扱いについて色々と議論されています。
昔では学校の先生が部活動の顧問を行うのが当たり前でしたが、近頃の世論では
『学校の先生が大変すぎる』
『部活動の顧問の仕事はなくすべき』
『外部コーチを入れたほうがより高い指導を受けれる』
『そもそも部活って先生の業務の内に入らないんでしょ』
などと、学校の先生の過酷な現状が世の中に知れ渡り、部活動の顧問を教員が行うことへの否定的な意見が固まりつつあります。
実際、一部自治体では、外部コーチ(部活動指導員)を導入しているので、確実に学校の現場が変わりつつあるのだと思います。
そんな部活動の顧問を学校の先生にやらせるのはやめよう!という流れができている中、この記事では『部活動の顧問は学校の先生がやったほうがいい』という反対の意見について書いていこうと思います。
目次
顧問の先生は生徒からすれば特別な先生
あなたが中学、高校……特に中学校に通っていたときのことを思い出してほしいのですが、部活動の先生というのは生徒からすれば特別な先生です。
学校にはたくさんの先生がいますが、何か相談ができるとすれば担任の先生か、部活動の先生かの親密な先生たち2択くらいだったのではないでしょうか。(本来であれば、担任または学年主任に相談するのが正しそうですが)
深い関係性にある先生が学校に多くいるというのは何か問題が起きたとき──具体的に最悪のケースの一つですが、いじめが起きた際に相談(通報)しやすいということですから、これは利点ですよね。
部活動は生徒を知れるよい機会
教員は学習指導だけではなく、生徒指導も(ちゃんと定められた)業務の1つになっています。
つまり、教科の授業だけじゃなくて、服装など生活の仕方を注意したり将来何になりたいんだとかそういう指導も行いますよ、ということです。
生徒を知る機会が増えれば、それだけ的確な生徒指導を行うことができますから、部活動は生徒指導上役に立っていると言えるでしょう。
ここからは余談ですが私が中学生だった頃の話です。家で虐待が疑われていた子(Mくん)がいて、生徒の中では噂になっていたのですが先生にまでその話が伝わっていない(流石に生徒の私たちから先生にいうのは気が引けていた)ということがありました。Mくんはあまりに静かで無気力な子だったのですが、普通に学校生活を送っていれば授業中そういう物静かな子はいますし、そういう子なんだなとしか思われません。しかしそのMくんは部活でもとても物静かで無気力だったのです。運動部なのにそんな有様だったので部活動の先生が流石に変だと勘付いて、部員の私たちに話を聞いてきて、私たちが事情を話した後Mくんに直接話を聞くことに。最終的に虐待ではなかったことがわかって、かなり安心したのを覚えてます。
とにかく部活動において、授業だけではわからない生徒の一面を知ることができるというのは、当然のことですよね。
部活動は生徒が先生を知る場でもある
上で書いた通り、部活動を通して先生は生徒のことを知ることができます。
逆に、生徒も部活動を通して先生を知ることができます。(先生を主語とするならば、部活動は『生徒に自分を知ってもらう場でもある』ということです)
普段、頭でっかちで勉強ばかりしてそうな先生に勉強以外の特技があったとしたら、あなたが中学生だったとして、その先生のことを見直すと思いませんか?
そのような小さな『先生すごい』という評価が重なっていくことによって、それは尊敬や信頼へと繋がります。
生徒からの尊敬や信頼を得るというのは大切なことで、指導の通りやすさや説得力に直結しますよね。
『頭が良い』が尊敬の対象にならない子
尊敬や信頼が指導の通りやすさ(学習指導や生徒指導で話を聞いてくれるか)に直結する、というのはほとんどの人が同意できる話だと思います。もちろん、相手が尊敬できようができまいが何者であろうともきちんと目を見て話を聞くのが道徳的な正解なのかもしれませんが、実際のところ難しいですよね。逆に考えて、相手が誰であろうときちんと話を聞けるような子はすでに生徒指導のレベルを越えているといえるかもしれません。
話を戻しますが、中学において特に部活動の顧問問題が上がっているのは大体公立の中学校ですが、公立の中学校では『頭が良い』ことに価値を見出さない生徒がかなりいます。つまり、学校の先生が普通持っている属性である『頭が良い』が、尊敬の対象にならない場合があるということですね。
そもそもの話ですが、自分が子どもの頃を思い浮かべてみて、身近にいた大人ですげーってなったのって、頭が良い人というより、自分の興味があることが上手だったり、その分野をよく知っている人だったりしませんか?
これは部活動でも同じことが言えて、『先生が部活動で少し練習に参加して、そのとき上手だった→すごい!』という流れが確実にあります。私自身の思い出ですけど、私は中学時代卓球部で顧問の先生は卓球未経験者だったけど、2年間部活頑張ったMくんよりも上手だったので大人ってすげーって感心してました(Mくんは運動神経めちゃ悪かった。ごめんね)。
とにかく、部活動というのは生徒からすれば先生の勉強以外の一面を知ることができる機会で、そこで先生が『ただ偉そうな大人』なのか『自分の興味のある分野で先を生きる大人』なのかを判断する場として機能しているということです。
部活動顧問はなるべく学生時代に経験していた部活に配属されるようなので、高確率で先生がその部活における先輩になれるということになります。また、経験者ではなくとも、大抵大人は子どもより上手く出来たりするものですし、もし上手にできなくてもそれはそれでいいと思います。
部活の顧問は生徒より上手にできなくても良い
先ほど、部活動で先生の意外な一面を見せることでそれが尊敬に繋がり最終的に指導の通りやすさに繋がると話しましたが、私は別に生徒より上手にできなくても良いと考えています。
なぜなら、1番重要なのは先生への尊敬ではなく、生徒が先生の話(指導)を聞き入れる環境だからです。
人が人の話を真剣に聞くとすれば、それは先ほど書いた通り『尊敬できる人』『信頼できる人』などいますが、それ以外にもっと緩い関係性でいくならば『よく知っている人』などがあります。
記事の最初に戻りますが、顧問の先生というのは特別な先生です。
少なくとも他学年の顔を見たことあるだけの先生より顧問の先生の方が、生徒からすれば『よく知っている人』です。
普通に考えて『顔を見たことのあるだけの人』と『よく知っている人』だったら、『よく知っている人』の話を真剣に聞きますよね。親密な間柄の人間を無下に扱うのに抵抗があるのは当然です。
つまり、部活動の顧問というだけで生徒から見た先生の立ち位置がある程度変わってくるので、部活動の分野で上手である必要はないということですね。
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